2026.03.23ブログ

三神たけるのお伽秦氏「鬼(前編)」(2001年3月26日記載)

「鬼(前編)」

子どもが悪いことをしたとき、親は「こらっ!!」と言って叱る。でも、この「こら」とは、一体何だろう。「これはなんとまあ、ひどいことをしでかしたのか」の「これは」が「こりゃ」になり、さらに「こら」と、訛化したのか。それとも「懲らしめるぞ」の「懲ら」なのか。実のところ、よくわからない。

でも漫画で表現するとき、往々にして叱る親の頭には2本の角が描かれる。カラーの場合、角は決まって黄色というのが相場だ。言うまでもなく、これは子どもを威嚇する姿を鬼の角として表現したものである。角を描くことは、そのまま鬼を意味した。洒落っ気のある人なら、怒っている人を表現するのに、両手の人差し指を立て、それを頭の上に掲げたりするかもしれない。

はたして、これは偶然なのか。ユダヤ人の言語であるヘブライ語で「コラ」というと、なんと「角」を意味するのである。アルファベット表記では「KRN」になる。ちなみにヨーロッパでは、これが「ケルン」「ホルン」という言葉になる。鋭く尖った山として有名なスイスの「マッター・ホルン」は、「角のような山」という意味だ。

実を言うと、ヘブライ語の「KRN」に関しては面白い話があって、光を発するという意味の言葉も「KRN」なのだ。中世ヨーロッパの人々は、往々にして両者を混同。シナイ山から神の十戒石版を手にして降りてきた預言者モーセの頭が光っていたという部分を、なんとこともあろうか、頭に角があったと解釈してしまった。そのため、ミケランジェロの作品をはじめとして、ヨーロッパのモーセ像には、しばしば二つの角があるものが見受けられるというわけだ。

預言者が角のある鬼になってしまったとは、なんともお笑い種だが、よくよく考えてみると、これはただならない問題を抱えている。光を色で表現すれば、何色だろう。蛍光灯は白、太陽は赤だが、サーチライトを例に出すまでもなく、多くは黄色ではないだろうか。まばゆい光を黄金で表現するのも、そこに黄色の要素が見て取れるからに他ならない。先ほどの角が黄色だと述べたが、あるいはひょっとすると、そこには「光」という意味が込められているのではないか。

つまり、古代の日本語においても、ヘブライ語同様、「角」と「光」は同じ言葉だった可能性が出てくるのだ。そうなると、改めて問わずにはいられない。一体「鬼」って何だ?言うまでもなく「鬼」は日本語ではない。中国語である。「鬼」という漢字は、本来、死体の象形文字で、そこから死霊のような物の怪を指すようになった。ただし、日本でいう赤鬼、青鬼といったイメージは中国にはない。

日本の鬼のイメージは、だいたい次のような感じだ。まず上半身裸で虎の腰巻一丁。身体中の毛は濃く、癖のある頭髪はアフロ・ヘア、ボリュームたっぷりのもみあげはお約束通りだ。髭はもとより、胸毛、すね毛に至るまで、もう全身毛むくじゃら。それでもって、頭のてっぺんには1本ないしは2本の角が生えている。

これは、もともと十二支を方位に当てはめたことに由来する。具体的に、北を「午」にして、方位を12分割すると、東北の方角は「丑」と「寅」に相当する。ご存知の通り、最近流行りの風水でもよく言うように、東北は物の怪が出入りする方角で、これを「鬼門」と呼ぶ。そこで、鬼の図像的イメージとして、そのまま「丑」と「寅」の特徴が割り当てられた。すなわち、鬼の体の上は、「丑」=「牛」で、下は「寅」=「虎」。具体的に、頭には牛の角があり、腰には虎柄のパンツというスタイルができあがったのだ。

日本の昔話では、とかく鬼が出てくる。なかでも有名なのが大江山の「酒呑童子」だ。その姿は巨大で、髪が赤い。子どものようなざん切り頭のくせに、大酒を呑むところから酒呑童子という名がある。ただし、童子と言っても、性格は極めて残虐。人肉を食らい、生き血をすする、まさに鬼である。

酒呑童子に関しては、これまでいろいろな考察がされてきた。大和朝廷の支配に抵抗する、いわゆる「まつろわぬ人々」が妖怪変化として扱われてきたことから、鬼=先住民=縄文人という等式を立てる人もいる。確かに、毛むくじゃらで目が大きく、彫りが深い形質は縄文人のそれに近い。近年、縄文人が独特な山岳信仰を持っていることが明らかになり、日本各地で人工的に整形されたピラミッドと呼ばれる遺跡の発見が相次いでいる。

酒呑童子が住んでいた大江山は、きれいな三角形の稜線を見せることでも有名で、地元の元伊勢皇太神宮の御神体となっている。事実、ここの宮司は、大江山を日本ピラミッドであると公言してはばからない。しかし酒呑童子に関しては、そのまま鬼=先住民=縄文人という等式をそのまま当てはめることは適当ではない。なぜなら、酒呑童子の描写は、あまりにも異人的すぎるからだ。鬼が先住民=縄文人ならば、もっと全国に、酒呑童子がいても不思議ではない。縄文文化が色濃く残っている東北地方にこそ、酒呑童子の拠点があっていいはずだ。

なのに、どうして丹波なのか。丹波と言っても、古代の丹波は現在の丹後と但馬を合わせた広大な地域を指した。ここは丹後半島の東西に極めて良好な湾があり、大陸との玄関口として大いに栄えた。今でこそ、日本海側を裏日本と呼ぶが、歴史的に言っても、こちらの方が表日本なのだ。丹波には古来、大陸からの渡来人が多数やってきたのは事実である。

さて、そうしたことを念頭に置くと、この酒呑童子、何やら外国人のような気がしないではないか。昭和初期、小川寿一氏は、『大江山伝説考』の中で、酒飲童子の描写が極めて西洋人に近いことに気づいた。西洋人は日本人よりも背が大きく、肉食をする。さらに赤ワインを飲んでいる姿は、昔の日本人には。生き血を飲んでいるように見えたかもしれない。すなわち、酒呑童子の正体は、丹後に漂着した西洋人だったのではないかと言うのである。

これを受けて、戦後すぐ村上元三氏は、酒呑童子とはフランドルの貴公子で、宋から日本にやってくる際、船が難破して、丹後に漂着した西洋人、その名もシュタイン・ドッチという大仮説をぶちまけた。謎学研究者として、これほど面白い話はない。なるほど、西洋人は肌は白いが、酒を飲むと赤ら顔になる。赤い毛にしてもざん切り頭にしても、さらには肉食、赤ワインと、何から何までぴったりだ。酒呑童子は、漂着して山賊になったドイツ系の西洋人に違いない。

?と思ったのだが、しかし、おいおい、時代が合わないぞ。酒呑童子の説話が今日のようにできあがったのが、およそ南北朝時代、ざっと14世紀のことだ。が、その原型は古く、平安時代に遡ることは間違いない。ヨーロッパが大航海時代を迎えるのは15世紀だから、本国から直接日本に来た可能性は低い。しかも、当時はポルトガルとスペインが主体であって、ドイツ系の人間が極東までやってきたとは考えられない。

もっとも、だからといって可能性はゼロではない。人間のパワーとはすごいものである。三蔵法師を例に出すまでもなく、信念があれば、人間はどこまでも行く。少数でも地球の果てまでやってきた連中はいるはずだ。なんと言っても、アジアにはシルクロードという道がある。それを通って、はるばるやってきた連中がいた。酒呑童子とは、そうした人々の末裔ではなかったか。

酒呑童子の本名がシュタイン・ドッチだったかはわからない。が、興味が惹かれるのは、「シュタイン」という言葉である。これはドイツ語で「石」を意味する。石を名前にするのは変だなと思うかもしれないが、ユダヤ教やキリスト教を問わず、『聖書』において「石」はメシアの象徴である。相対性理論で有名な、アルベルト・アインシュタインはユダヤ人であり、かつユダヤ教徒だったが、その「アインシュタイン」とは「1個の石」という意味。

また、イエス・キリストの12使徒の1人、ペトロもまたユダヤ人であり、その名前は「岩」という意味である。欧米で「シュタイン」という言葉を名前に持つ人の多くは、ユダヤ人であることが多い。その意味で、この酒呑童子。ひょっとしたらユダヤ人だったのかもしれない。

(2001年3月26日記載)

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