2026.10.24ツアーレポート

〈日光から月光へ〉月光が灯す道—夢の観音を求めて山形へ2026〈五島秀一〉

山形での「現在、過去、未来」の生き直しは、私たち一人ひとりの感覚と共鳴し、「振動が宇宙の言語」であることを体感する旅となったのでした。

旅が始まる前から、夢は動いていた。
旅の企画の当初は、まだ知らなかった。この旅がどれほど深く、どれほど精密に、「何か」によって設計されていたかを。

Dr.Shu(五島秀一)が幼い頃から10回以上繰り返し見続けた夢——山形の電車に乗り、ある駅で降り、観音の場所にたどり着く。その夢の場所を実際に訪ねるという企画を立て始めてからほどなくして、Dr.Shuの夢に突然「鳥海山の天狗」が現れた。

変な夢をみた。夢で出羽三山神社にお参りをした。山伏みたいな巨大天狗が迎えてくれた。「我は鳥海山 天狗なり」と言われた。

そして旅の1ヶ月前、ブログに、一つのコメントが届いた。
「知人が口之宮湯殿山神社のお手伝いをしています。この神社の真言宗のお寺時代の名前は『月光山本道寺』、始まりは『月光山光明院』というのです」
今回の旅のテーマは「夢」と「月光」。しかし月光にまつわるピンとくる場所がなかなか特定できずにいた矢先のことだった。もう一つの湯殿山神社の存在を初めて知り、その旧名が「月光山」だったとは。さらに「慈恩寺に行くか、立石寺に行くか」という全く決まらなかった迷いへの答えも、「口之宮湯殿山神社と慈恩寺は深い関係があります」の一言で、即決となった。
旅はまだ始まってもいないのに、すでに動いていた。

1日目|夢への旅立ち——夢と場所の一致
感情の変化

福島駅で集合し、バスは山形へ向かう。
最初の目的地は米沢、上杉神社。上杉謙信、上杉景勝、上杉鷹山——三代にわたる上杉の生き様は、そのままこの旅のテーマ「現在・過去・未来」を映し出すようだった。義を貫いた謙信、その遺志を継いだ景勝、そして財政破綻した藩を愛と改革で立て直した鷹山。Dr.Shuが深く敬愛する武将の地に立ち、旅の幕が上がった。

https://youtube.com/shorts/xMNU4WfxcsU?si=vSN1y0rVGiBBknOL



そして烏帽子山ではもう一人、意外な人物が待っていた。その名は「水心子正秀(すいしんしまさひで)」。江戸後期、優れた多くの刀匠を育てた名工だ。最初は気にも留めない様子だったが、ある瞬間、Dr.Shuの心境に閃きが訪れる。そして新たな境地が生まれたことを、私たちはしっかりとその場で受け取った。



烏帽子山公園——Dr.Shuが「おそらくここではないか」と感じていた、夢の場所の最有力候補の地。その地に立ったとき、何度も夢の中で見た風景と目の前の景色は、重なったのだろうか…歩きながら、私たちは若松観世音菩薩堂に辿り着いた。そこで受けた啓示の言葉が、この旅全体への序文となった。

「これよりは、葛折なる人生の、大荒波を乗り越えて、真(まこと)を表す海神の道——この度の人生は千歳一遇の機会なれば、心を尽くし力を尽くして、見事この荒波を乗り切って見せるのだ。見よ、眼前に広がる人生の大海原。時折試練が雨あられと降れど、その度に己れが捨つるものがなんであるか。時には物欲、時には精神的な欲。試練が来るということは、まだまだ捨てねばならぬものがあるということにて、一切万事執着することなく、自分を頼りとして生きるべし」



2日目|夢のお告げ——薬師三尊・月光菩薩と日光菩薩
味覚の変化

旅には不思議なことが起きる。参加者のMさんが、50年もの間口にすることがなかったある食材を、この日の食事で生まれて初めて口にした。「食べられた」と言ったMさんの表情を、ずっと忘れないと思う。旅が身体の何かを開く、そういうことが、確かに起きる。

朝食を食べ、松尾山 金峰山松尾院(最上三十三観音 第9番札所)へ。
奈良時代の高僧・行基は、桂の木に弥陀三尊がとどまる夢を見た。翌朝、夢で見た場所に桂の木を見つけ、そこに三体を作像したのが金峰山松尾院の始まりだという。
私たちが辿り着くと、境内の掃除をされていた方が、本堂の扉を開けてくれた。その瞬間、境内の空気がわずかに変わった気がした。Dr.Shuの観音の夢と、行基の夢が重なった瞬間だったのかもしれない。時代を超えて、「夢で観音に導かれる」という体験が響き合う場所であったことは間違いない。

https://youtube.com/shorts/w4GxLX5SRUk?si=sYUS7nyQylJdU-Ou





続いて向かったのは瑞宝山 本山慈恩寺。
行基の業績が色濃く残る、かつての「宗教都市」を彷彿とさせる寒河江の歴史の深さ。危険人物とみなされるほどのエネルギーと行動力がなければ、世の中を根本から変えることはできない——そのことをあらためて実感する場所だった。



そしてこの日のクライマックス。口之宮湯殿山神社(月光山本道寺) へ。
廃仏毀釈によって神社となるまで、この地は「月光山本道寺」と呼ばれていた。もともとの出羽三山には、現在の羽黒山・月山・湯殿山だけでなく、秋田と山形にまたがる鳥海山や、慈恩寺の葉山も含まれていたという。旅の3ヶ月前に突然Dr.Shuの夢に現れた「鳥海山の天狗」の呼びかけも、この文脈の中に置くと、すべてが繋がって見えてくる。
そしてこの数ヶ月、Dr.Shuと追い続けてきたテーマ「土木、治水、灌漑」という国土保全。その業績を残したシヴァ神、スサノオに続き、僧侶・行基もまたその系譜の中にいた。生と死の極限の場所、月光山本道寺を案内してくださった佐藤正幸さんの解説は、この旅の中で最も深く心に刻まれた言葉の一つとなった。

https://youtu.be/MNENe8po0pg?si=gMgTTVfHj3RftXg_





この日身体を休めたのは、志津温泉 清水屋旅館。月山の麓にある、登山者のための山荘のような宿だ。
玄関に無造作に置かれた栗とブナの種。ご主人が語る熊猟の話。手作りのどぶろく。山の暮らし、山の恵み、人のあたたかさ。それがそのまま、食卓の上にあった。10月も下旬になる今頃の五色沼は鮮やかな紅葉に包まれていることだろう。





3日目|出羽三山——過去・現在・未来を歩く
視覚の変化

この日、画家・今井繁三郎との偶然の出会いがあった。旅が深まるにつれ、私たちの「見えるもの」が少しずつ変わっていく。感覚が研ぎ澄まされていく、という感じがあった。

https://youtube.com/shorts/vF0F5ZDWW3I?si=XQi4yF-cbtOrtLOE

朝食を食べ、出羽三山の奥の院、湯殿山神社へ。
靴を脱ぎ、裸足になる。熱湯の湧き出る巨岩の御神体の上を歩きながら、足から不要なエネルギーを捨て真っ新になる。そしてこの日、秘する御神体から「開かれた御神体」へと変貌した、現在の湯殿の姿の中に、時代の変化を感じた。湯殿山は「未来・生まれ変わりを祈る山」。日本人の信仰が、御利益信仰でなく、森羅万象、八百万の神々に感謝と祈りを捧げる民族であり続けて欲しいと静かに願った。

午後は出羽三山神社(羽黒山) へ。
2026年は12年に1度の「午年御縁年」。参拝すると12年分のご利益があるとされる特別な年だ。本殿でご祈祷を受けた後、お札をいただく場所で、祝詞を奏上してくださった神職の方との12年ぶりの偶然の再会。今年は「虚数」をテーマにした湘南合宿の時も、偶然の再会の出来事が起きたが、出羽で再会した神職のAさんも、突然「虚数」と口にするなど、とても偶然とは思えない。Dr.Shu曰く、こういった一連の出来事を「エバネッセント現象」と呼ぶ。波が境界面で染み出すように、現実の境界にセレンディピティが滲み出してくる瞬間のことなのかもしれない。

https://youtube.com/shorts/8nYZxGiTwTE?si=RtJFV-a8gq6HD1H2





そして境内にある、出羽三山の開祖、崇峻天皇皇子・蜂子皇子の墓前に手を合わせ、Dr.Shuはこう語った。
「心中をお察しすると、蜂子皇子は『生きるのが精一杯だった』。でも要所要所で現れる烏の存在が、随分心を慰めてくれたようだ。恐怖と不安が段々鎮まるにつれて、自分だけが苦しんでいるのではなく、民も苦しんでいるに違いないと、そこから神通力を発揮するために、ここに行場を開かれようだ」
恐怖と孤独の果てに、他者への眼差しが生まれる。その転換点に、聖地は生まれる。

4日目|帰路 
聴覚「音感」の変化、そして「観音」という答え

福島に近づく直前でランチをとる。
店内から、Dr.Shuが、ふと目の前の看板を見た。そこに書かれていたのは、「信達三十三観音 第八番札所 清水観音堂」。私たちは気がついた。「最後の日の『音感の変化』とは、まさに音を観る観音そのものだった」ことに。

山形の旅では、4日間を通じて参加者それぞれに「感覚の変化」が訪れた。
1日目・感情(気持ち)の変化、2日目・味覚の変化、3日目・視覚の変化、4日目・聴覚(音感)の変化。それはまるで、旅そのものが一つの「観音巡礼」として設計されていたかのようだった。五感が順番に開かれ、最後に「音を観る」という観音の本質へと辿り着く。Dr.Shuの幼い頃の夢から始まったこの旅は、夢が現実と重なる瞬間を何度も生み出しながら、最後に、旅全体の意味を静かに照らし出した。

「振動が宇宙の言語である」
その体感による感動を、私たちは山形の大地に刻んだ。
清水屋旅館の娘さん志津さん、慈恩寺を案内してくださったガイドの方、口之宮湯殿山神社の佐藤正幸さん、菅恵美子さん、長井やすこさん他、Dr.Shuを熱烈歓迎してくれた鳥海山の天狗さーん、そして、旅を支えてくださったすべての方に、心から感謝を申し上げます。
2026年10月 majolica

参加者の方より

・この度は夢の観音を求めて、、、山形ツアー、大変お世話になりました。素晴らしい企画、素晴らしい下準備の元、素晴らしい学びの旅でした。majolicaツアーは「真心ツアー」「奇跡のツアー」でした。企画者の高島さんにも旧友(神職になられた)との12年ぶりの偶然の再会がありましたね。その奇跡、我々は目の当たりにさせて頂きました。山形は素晴らしく、濃厚な学びでした。山形、生き直しの旅、出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)にての「生き直し」の旅。1日目・・・気持ちの変化 2日目・・・味覚の変化 3日目・・・視覚の変化 4日目・・・聴覚の変化。私は1日目の夕食のお刺身が食べれました。(本来魚の刺身は食べれません)生臭くなく、山形の魚は新鮮なのかなと。2、3、4日目まで、お刺身が食べれました。味覚が変わったことが実証された感じです。自分でも不思議ですが、この味覚はわかりやすい変化でした。湯殿山にお詣りした後、冷え性の私の足は先までぽかぽかで、身体が軽く、爽快でした。現在もその感覚が少し続いています。持続していけるように頑張ります。湯殿は未来をあらわすとのこと、なりたい自分をイメージします。「100%の山山ぶどうジュースのように、今から5〜10年かけて、人生の意味を味わい深めて下さい」と五島先生の最後の言葉、忘れません。S・Kさん

・4日間、大変貴重なツアーに参加させて頂き、誠にありがとうございました。食事から宿から訪れる先々、どれも自分だけでは経験できないラインナップ、高島さんのコーディネートの凄さに今回も驚かされ、感動させられ続けました!もちろん発案は五島先生の夢ですが、そこを現実化し肉付けした今回のツアーは奇跡でしかなく、高島さんにしかできない偉業だったかと思います。あの奇跡の好天は私の推しの山形県民の配信でもびっくり!と言ってました(五島先生ですね?笑)。今日は前線が山形を縦断する形で、急に寒くなっているのではないかと思います。体調が優れなかったことだけが惜しまれた旅でしたが、何か必然があったのでしょう。皆様の優しさが身に染みました。次回は元気な時にまた山形を訪れたいです♪ M Mさん

・あらためて山形では大変お世話になり本当にありがとうございました。書ききれない気持ちですが、以下長くなり過ぎないように感想をお送りします。素晴らしい旅を本当にありがとうございました。10代の五島先生の夢のお告げと、20代の高島さんの山岳修行のご経験が、このタイミングでぴたりと符合された奇跡に感動しました。人生は謎解き…今目の前にある様々な機会も、短期的で浅はかな評価を下す事なく未来への良い布石になる事を信じて真摯に向き合いたいと感じました。常識を超越して一切の執着を捨てる境地を目指さなければと思いながら、、美味しいおもてなしの数々に食欲のブレーキすら全然効かない(笑)楽しい日々でとても幸せでした。毎日の体操を教えて頂いたり、食事の機会等で貴重なアドバイスを沢山頂き、とても助かりました。奇跡的な、素晴らしいご縁とお導きに心から感謝の気持ちでいっぱいです。重ねてありがとうございました。M・Sさん

・8月の日光のライオンズゲートから始まり、10月の出羽三山で終わる月光を求めての旅。前祝福にて、覚醒者としての私にこれ迄以上に誇りを持って生きろと激励されて送り出された、日光の旅。続く月光を求めての旅は、その生まれ変わりそのものが設定されており、五感そのものの変化をもって新たな私に生まれ変わっていく。その様な体験でした。山形県にも行基の痕跡は多くあって、「私は、いつしか行基の率いる集団の中にいて、村落を回るたびに、その地で医療、土木等の援助活動を手助けしておりました。希望と明るさを持った力強い集団でした」。史実がどうかはわかりません。この旅での私は五島先生が行基でした。山形の水はとても美味しいです。山がちゃんと機能している。厳しい冬を受け入れて暮らすことで山にエネルギーが満ちている。そんな印象をもちました。さすが”あるべき山の形、山形”。私はこの二つの旅の間、間違いなく違う時空の世界におりました。また貴重な体験を頂きありがとうございます。C・Yさん

・「日光から月光へ。五感でたどる、謎解きのような山形の旅」五島先生と巡る三泊四日の山形の旅。実は八月に訪れた日光の旅の続きでした。山形に「月光」という場所や川があると分かり、そこに夢の場所探しも重なり、今回の旅へ。「月」というつながりをたどりながら、旅行直前まで行き先にも変化がある、まさにミステリーツアーのような始まりでした。松尾院では、お掃除に来ていた方がわざわざお堂を開けてくださいました。そこで桂の木の由来を伺い、その木から行基が観音像を彫り出したと伝えられていることを知りました。立て札に記された由来が、目の前の桂の木と、お堂の奥にいらっしゃる観音様をつないでいました。観音様のご開帳はありませんでしたが、皆さんと後ろ側へ回って桂の木に触れ、木から発せられるあたたかな気と癒しを感じました。そして、次に訪れた慈恩寺で、日光菩薩と月光菩薩を実際に拝見できたことも、私にとって大きな出来事でした。日光菩薩の手には、太陽の中にヤタガラスが描かれたもの。月光菩薩の手には、月の中にウサギが描かれたものがありました。日光から月光へとつながってきた旅の中で、そのお姿が目の前に。さらに、慈恩寺の建立にまつわるお話から、行基が民衆の力を集め、東大寺の大仏造立に関わったことへと、お話が広がっていきました。松尾院で耳にした行基の名前が、次に訪れた場所でも現れる。今見てきたこと、聞いたことが、次の場所で新たなヒントになる。旅の順番そのものが、まるで謎解きのようでした。こうしたつながりを重ねながら、行基という人物も、旅の後半に向かうにつれて、じわじわと気になる存在になっていきました。木もまた、この旅で繰り返し気になる存在でした。松尾院の桂、出羽三山で何度も話題に上ったブナ、そして最後に五島先生が手にされた桐の道具。清水屋旅館のご主人からブナの種をいただき、そこから森や水、熊や出羽三山のお話へ。目の前にあるものが、次のお話につながっていく。その重なりが面白くて、帰ってからも桂・ブナ・桐の共通点を調べ、旅の出来事を振り返りました。「桂」は、人の手によって観音様の姿となり、祈りを形にする木。「ブナ」は、水や種を通して命を育み、循環させる木。そして「桐」は、道具へと姿を変え、人の身体や感覚に触れる木。旅の中での出会いを重ねてみると、「形にする」「循環させる」「身体に届ける」というつながりとしても受け取れるように思いました。自然の中にあるものが、人の手を通して、祈りや暮らし、身体へとつながっていく。形を変えながら、受け継がれ、また誰かへと届いていく。そう考えると、旅の中で出会った三つの木が、帰ってからも新しい問いを届けてくれているようです。旅の食事は、どこでいただいても美味しく、まさに五感で楽しむ時間でした。それぞれのお店やお宿が、心地よく、気持ちよく過ごせる空間になっていて、その場に身を置くだけで、身体にも心地よさが伝わってきました。土地の食材を活かしたお料理(きのこオールスター!)は、盛り付けを目で楽しみ、口に運んでは味わい、その場の空気や居心地のよさを肌で感じる。五感のスイッチが次々と入り、お料理も、その空間も、作り手の方々の真心も、まるごと自分の中に取り込まれていくような感覚でした。一皿一皿から、おもてなしの心と、その土地を愛する想いを受け取りました。そんな食事の中で、何十年もの間、苦手で口にできなかった椎茸も、驚くほどすんなりと、美味しくいただくことができたのです。自分自身の感覚に起きたこの変化にも、驚きました。ランチで伺ったのは、丁寧に手入れされたお庭を楽しめるカフェや、地元の画家さんの作品に囲まれたギャラリーカフェ。それぞれの空間で、お料理の盛り付けを楽しみながら、五感が刺激される時間を過ごしました。羽黒山で正式参拝をした際には、ご祈祷をしてくださった神職さんが、高島さんのかつての山伏修行のお仲間だったと分かりました。なんと十二年前にも月山でばったり再会され、今回も十二年ぶりの再会だったことが判明! ここでもまた、「偶然の必然」と言いたくなるような出来事がありました。そして旅の締めくくり、最後に立ち寄ったお蕎麦屋さんで、お店の看板と並ぶ「信達三十三観音 清水観音」の看板を目にして、思わず「あっ!」と驚きの声が。「観音」は「音を観る」。五島先生が最後にお話しされていた「音」とも、ここでつながったのです。さらに清水観音の由来を調べると、そこにもまた行基の名前が。「ここにまたしても行基!」と、松尾院で伺ったお話が重なりました。日光から月光へ。松尾院の観音様から、旅の締めくくりの観音様へ。ひとつの場所で出会ったものが、次の場所へのヒントになり、旅の終わりにまたつながっていく。人々や木々、お料理や絵画に五感で触れながら、その謎解きのような流れを体験した三泊四日でした。帰ってからも、あの場面とこの場面がつながり、話したいこと、調べたいことが尽きない山形の旅となりました。ちなみに、今回お世話になったのは「オールスター観光バス」。月に導かれて乗っていた私たちも、みんなオールスター!! M・Kさん